情報に惑わされるな
世の中には情報が溢れている。 だか、そのほとんどが自分にとって必要ない情報だったりする。
テレビをつければ勝手に情報が流れてくるCMはもちろんのこと、個人の思想もだ。コメンテーターなんてただの個人であり、その人の考えな訳で正しいとか正しくないとかない。
危険なのはその考えを鵜呑みにし、自分の頭で考えなくなることだ。
その時点でもう誰かの操り人形状態。 それが今の日本国民のほとんどだ。
誰しも誰かの思想や考えは受けるが、一旦自分の頭で考える必要がある。
ほんとうに自分にとって"必要"かどうか。
物を売ることがうまい人間は相手の心を躍動させ、それがほんとうにそれが必要なものだと錯覚させる。
一時的なものだから後で気づく。 あれっこんなもの必要ないと。
そうならないためにも溢れる情報に自分フィルターをかけ、取捨選択が必要である。
ほんとうにそれを望んでいるのか
身近な人や、周りの人をよくよく観察して欲しい。
あれやらなきゃ、これやらなきゃ、そんなことを言っている。
例えばおしゃれ丸の内OLのテンプレ ・週に数回ランチはオシャレな千円くらいなとこにいく。 ・週に一回は合コンにいく。 ・週に一回はジムに行く。 ・たまに海外旅行に行く。
意識高いサラリーマンのテンプレ ・異業種交流会がすき ・海外志向 ・なにか資格とらなきゃと躍起になってる 等
上記のことをもちろんいいことではあるかもしれないが、それはほんとうに自分で決め、自分本心でやっているのかということ。
ただ、問いたいのは"本心"かそれだけだ。
本心で向きあってないものなんて捨てた方がいい。 なぜなら結果は絶対にでないから。
結果を出すときというのは無我夢中状態だから。
だから自分に問いて欲しい。
それほんとうに"本心"でやっている?
自分の好きなことをやればいい
自分の好きなことをしていない人、している人どちらが魅力的にみえるだろうか?
やりたくないことを無理矢理毎日やる。 正気は失われていき、パワーがなくなっていく。やがて病気になったりする。
なんでそんなことになるのか。 それは、"心"では嫌だと感じているのに"体"では違うことをしているからだ。
つまり心と体の不一致だ。 考えてみれば当たり前だと思う。 リンクしていない。
じゃあなんで、ほとんどの人が好きなことやってないのかというと
常識という名の洗脳を受けているから。 例えば この歳までには結婚したほうがいい。 この歳ならこのくらいの収入がいい。 何歳までにいくら貯金したほうがいいとか。
これ、誰が決めたの?? 自分? 違うでしょ。
だから他人の決めたルールやレールに乗った時点でもうその人は人生を楽しく過ごせない。
ルールなんて自分で決めて自分の足でレールを作っていけばいいんだ。
ただ、それだけ
自分と他人
あくまで自分は自分で、 他人は他人だ。
他人の成功体験なんか聞いて感化されたって、それはその他人だから成し得たことであって自分じゃない。
つまりその人の生き方は参考にはなれど、絶対に同じ結果にはならない。
そんなものに振り回されてないで、自己に集中し自分の好きなことし、できることのパフォーマンスを上げることのが重要である。
他人に振り回されるなんてあっちゃならない。
日本の教育
日本の教育 それは知識を詰め込みし、◯✖️あるいは4択とか5択の問題を解くことが目的になっている。 その問題を多く解けた人が優秀で、解けない人がバカなんて言われたいる。
が、、どう考えてもおかしい。問題の答えが頭に入っていればいいわけだから。仮にテスト以外の何かマニアックな領域の知識が凄くても、それはテストには全く役に立たない。
つまり、こんなものじゃなにかを生み出す力、考える力などは一切磨かれない。
日本の教育はなにも考えないで、受け身で、言われたことに従う人間を量産する教育システムだ。
もし、テストで他にも答えがあるんじゃないかって素晴らしい名案をテストに書いたとする。
当然その答えでは点数は貰えない。 ただ、決められたことに従う人間が評価される。
もうこんな教育辞めませんか?? 自分のやりたくないことを無理やりやる不幸な人を量産するだけです。
流行って?
流行り物 毎年〜が流行ってます。 今年の流行は〜です。
そんな風にメディアは紹介します。 確かにテレビだったり雑誌の力は未だにあり、そう紹介することでその商品が人気になります。
日本人特有の周りと一緒でいたいという心情を巧くつき、その商品を流行させます。
なんとなく流行に乗っていれば大丈夫。 他人から変に思われない。
そう、また人の目で動いている訳です。 本当にその商品が好きだったりする人は、流行が去ったあとでも使い続けたりする訳です。
だかほとんどがそうしない。 何故ならそれは本当に好きだから使っていたりするのではないから。
別に流行り物全てを否定する訳ではありませんが、誰かの思惑に乗っかっていることを意識するべきです。
流行を創る人間になること、なにかを人に与える人間になることができたらなんとも素敵ですね。
時代は変わる
時代は必ず変化するときがある。
歴史を紐解いてみれば、革命、反乱、改革など様々なことが起きてきた。
なぜそんなことが起こるのかと考えてみると、そこには人の不満があるのだと思う。
それっておかしくない? もうこんなこと我慢できない。
そんなような個人の気持ちが積もり、いずれ大きな思想の変化へと繋がっていく。
現にここ数百年でも、働きかた、生き方は大きく変化してきた。
昭和初期は小さな商店などが多く、自営業が多かった。
戦後は日本が経済成長をしていき、たくさんの会社がてきた。 そのため会社で働く人がいなればならないので、会社員がより多く必要となり、現代では会社員になるのがスタンダードなのだ。
しかし、大企業の今後の成長は期待できないと感じている人が多いはずだ。 ものは溢れ、これ以上のものを求めることに価値を感じなくなってきている。
つまり、たくさんのものを所有する<自分らしく生きる ほうに価値を置く人間が増えてくると私は思う。
そして、それこそが時代の変化であり、多用的な生き方を認める時代にシフトしていくのだろうと思う。
というかそうなってほしい。